人間の文化史の上でブーメランがどのような存在であったか、J.E.J.Lenochの論文などを参考に説明します。「スローイングウッドとブーメラン」(
LENOCH(ウィーン1949年))は、投擲用の木製品が、時代・地域・文化を越えて広く分布していることを示しています。
ブーメランのように、遠くの目標に向かって投げる木製品には、概ね3種類に分類されます。ひとつは、棍棒のように相手にぶつかる事により打撃を与えるもの、これは一方もしくは両端が極端に重い(時には皮をかぶった鉄塊)棍棒というタイプ。
これらは、その形や材質などからその用途や使用方法を元に分類されます。 ブーメランは、ブーメランが木製であるため、実物は発見されていませんが、紀元前4000年から5000年の新石器時代にあたるヨーロッパの洞窟岩絵に描かれている事から、その頃にはすでに存在していた形跡があります。 ブーメランは、言われているように武器としてではなくウサギや鳥などの小動物の狩のための道具が主目的で、戦いの道具としては極めて限定されたものであったと思われます。 ヨーロッパの神話や伝説に登場する神々の武器の中には、スローイングウッドやブーメランを思い起こさせるものがいくつか存在しています。
ポーランド(紀元前23000年頃のマンモスと共に発見されたもの)、ドイツで最も古いものは紀元前800-400年のMagdeburg近郊のElbschotternの岩絵に見られます。
一方、北部アフリカの紀元前6000年頃の遺跡で、ブーメランらしきものの絵が発見されています。
インドでは植民地化される当時まで、スローイングウッドが使用されていたが、単なる木を切り出したものでそれが手元に帰っこなかったのではないかと、その形状から見られています。 アジアを北上し、アメリカへ移住したモンゴロイドと共にアメリカ大陸を南下したブーメランはメキシコや南米で、時には占い師の間などで使用されていたようです。 北アメリカ大陸では、いったん南下した後、東部へ伝承されていったようです。この地域のブーメランも、新しい武器や狩猟用具の発展と共に他の地域と同じように武器や道具としての価値は失われ、飾りとしてあるいは儀式の礼拝の対象として残っているだけです。 セレベスやジャワ、スマトラでは最近まで鳥を茂みから追いたてるために使用されていました。 このようなブーメランですが、新しい武器や狩猟道具(特に弓)の登場でそれ以外の地域では使われなくなったというのが真相のようです。 ブーメランといえばオーストラリアといわれるオーストラリアでもすべての地域で使われていたわけではなく、北部やタスマニアでは使われていた痕跡はありません。その他の地域(南部や東部)では、しばしば魚を捕るためにも使われていたようです。 オーストラリアのブーメランはユーカリやアカシアの木を火で加熱して適当なカーブをつけた後、石斧で切れ取られ、加工されて作成されました。 キャプテン ジェームス クック(Captain James Cook (1728‐79):英国の航海家)が、オーストラリアを発見し、今のニューサウスウェールズに上陸した時、原住民(アボリジニ)達は、弓も矢も知らない石器時代の状態でした。そこで彼らが持っている奇妙な物体(投げると手元に帰ってくる木製品)を捕まえた時、Boom-My-Rowと叫んでいると聞いてBoomerangと呼ばれるようになったと言われています。
ただ、オセアニアではごく最近まで、子供用のゲームとしてあるいは狩猟道具として使われていたため、ブーメランはオーストラリアの物と言われていますが、現実には上記のように、はるか古代から世界中で使われていた物のようです。
現在、オーストラリアの原住民(アボリジニ)達は、実用的なブーメランを作る技術が失われ、そのブーメランに描く絵は彼らの民族芸術としてのみ継承されています。 そして、ここ30年ブーメランはスポーツの対象として復活しました。その主流はアメリカであってスポーツとして定着した後10年以上タイトルはアメリカに独占されていました。そしてスポーツ団体が組織化されたフランスとドイツが現在強力なライバルとして登場してきました。
これらの内容は、J.E.J.Lenochの論文(ウィーン1949年)・フランスブーメラン協会のホームページなどを参照しました。
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